吉野宮神社祭り
吉野宮物語
 諸塚村南川地区にある吉野宮神社にまつわる物語です。

 足利時代中期(1379年説と1484年説とがありますが、1484年説が有力です)に吉野朝廷の密命を帯びた位の高い盲僧が阿蘇の菊池一族を頼って行く旅の途中に、延岡からつけて来た盗賊に諸塚村と北郷村の境の峠で襲われ、大金を奪われ殺されました。よそ者が起こしたとはいえ、当時風俗朴訥とした山村で起きた事件としては、かなりショッキングなものであったでしょう。村人が不憫に思い、また祟りを恐れ、盲僧の霊を「吉野宮」として祀り、その事件の内容が伝説として語り継がれてきたものです。吉野宮という名も、南朝の大和国吉野とも関連するのでしょうか。

 盗賊は、延岡の某家と半ば公然と語り伝えられており、祟りを恐れた某家の子孫が、享保19年(1743)には、供養塔を建てています。150年以上前の豊後の本草学者・賀来飛霞の書「高千穂採薬記」に、この伝説の記述と供養塔のスケッチが著されています。この供養塔は、今でも神社に大切に祀られています。

 いつしか命日にあたる毎年328日は、目の神様を崇める村人たち手作りによる荘厳な吉野宮神社祭り(通称「座頭さん」)となり、宮崎県北部の3大祭りのひとつとして多くの人が集まる伝統ある行事となっています。

 盲僧の伝説は、吉野宮物語(北方町の松田仙峡氏)という本も出版されたり、紙芝居なども創られていました。平成11年には吉野宮物語絵図とビデオを作家の五味太郎氏が制作しました。さらに平成14年には五味太郎氏の絵による「絵本・吉野宮物語」がつくられています。