中の又集落(南川) |
諸塚再発見 シリーズ第9回
役場から国道327号線を日向に向かって走り、諸塚トンネル入口前を左折し、最近全線開通した南川林道を1.5q程進むと、中の又集落に着きます。紫色の藤の花が沿道のあちらこちらに咲く姿が美しく、すっかり暖かくなった雨上がりの午後でした。 中の又は戸下、荒谷小へ向かう道路や、新たに開通した南川林道が複雑に交差した場所になり、現在はこの地区で1軒になったMHさんのお宅は前に家があった場所から100m程下った南川林道沿いに1年半程前に建てられた真新しいお宅です。
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M家は世帯主のMHさん、奥さんのTさん、息子のSさんとHさんの4人世帯です。同じ南川、梅の木地区のM家から分家してきており、MHさんで3代目だそうです。
MHさんの父親のYさんは、炭焼きを主な生業としていたそうです。炭焼きのために伐採した跡地に、親父さんと一緒に杉を植え、その杉が成長して、今の住宅の材料になったということです。 MHさんは、家の山林を徐々に広げながら、Tさんと夫婦で森林組合の林業労務班での請負の仕事を続けておられ、携わった山から切り出された木材が、「産地直送住宅」の材料としてかなりの量出ているようです。そのため産直住宅の上棟式に何度も参加され、北九州で行われた産直住宅のセミナーにはパネリストとして林業者の立場から意見を述べられました。最近は、長崎県から、「諸塚の木材で家を建てたいのですが・・・」という相談の電話が直接かかってきたりということもあったそうです。 労務班での仕事が多いため、自分の山の手入れが、なかなか出来ないというのが悩みといえば悩みのようです。しかし、MHさんのような方に手入れをしてもらわなければならない山、誰かが変わりに手入れをしなければならない山は村内に多く存在するわけで、林業労務班やウッドピアは諸塚にはなくてはならないものだと思います。そういうことでMHさんとTさんも年間200日前後労務班の仕事をしながらご自分の山の管理もしているというわけです。 諸塚の林業で重要な位置を占めると思える労務班ですが、「何でも補助頼みにするのがいかんのは分かっちょるけど、労務班に機材の購入なんかで補助制度を考えてもらうといいっちゃが。労務班に対する補助制度は無いとよね・・・」というご意見も。 「自分の山の手入れするって言うても、金にならんことは分かっちょるとよ。」でも、「きれいな山になっていくのはうれしいがね。」 ・・掛け値なしの、山が好きな、MHさんの言葉だと思います。「やっぱり愛着がわくとよね、自分の子供とひとつよ。」 とはTさんの言葉です。 山仕事は、誰がしても楽な仕事ではないし、経済的にも厳しいし・・・コンクリートに囲まれ、お金を右から左に流さないと生活が成り立たない都会人からすれば、「それで何でそこにいるの?」という話にもなりかねませんが、山に携わる人が発する楽天的な言葉を聞くと、ほっとするのは私だけでしょうか。1+1が2でなければならない都会より、1+1が3にも4にもなる、時には限りなくゼロになる「自然」の方になぜかほっとするという感覚がないでしょうか。 お2人と話していて森林組合の加工場に勤める息子のS君は青年のつきあいが多く、なかなか家にいて仕事をすることも出来ないという話です。 「あてにもしちょらん。」 現在は神社の氏子をされており、南川公民館長をされていた3年前に、吉野宮神社の祭りに琵琶法師の永田法順さんを初めて呼ぶ際も尽力をされ、それがあって今は諸塚を代表する祭のひとつになっています。楽天的に見えるMHさんですが、腹を据えて長年山と向き合ってきて今のお姿があるのではと勝手ながら想像します。 よい山をつくり、よい家庭をつくり、よりよき人間として生きる。私もそうありたいです(何時になるやら・・・)。
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