諸塚再発見

白木尾集落(川内)
Shirakio

諸塚再発見 シリーズ第7回

 国道503号線から川内林道へ、猿渡の手前500m程(看板あり)のところで橋を渡り奥畑林道へ、しばらく登って分かれ道で「白木の尾0.5q」の看板に従いコンクリート舗装の道を、しばらく登ればそこは白木尾。役場から約14q。車で30分ほど。

1.白木尾集落としての歴史はまだ浅く、今回訪ねたKSさんの父親のTさん(84歳)が戦後入植したのがはじまりです。

 戦争で5年以上を中国やタイの戦地で過ごしたTさん(県議の松井議員より3年早く入隊し、松井議員の上官だったそうです。)は終戦後、実家のある川内の奥畑に帰ってきました。当時奥畑には田んぼが少なかったために、畑を田んぼにする作業を行ったそうです。戦争に男手を取られていたために思うように基盤整備が出来なかったのかもしれません。現在の川内には神楽はありませんが、戦前までは受け継がれていたそうです。しかし、戦争に舞手を取られていたために中断され、戦後の慌ただしさの中で復活することは無かったようです。神社に神楽を舞うための着物だけは残っているそうです。

 2,3年して奥畑の田んぼづくりが終わると、もともとTさんのお兄さんの山だった白木尾に移り、弟さんと2人で家の敷地の開拓や田んぼや生活用水のための水路掘りといった作業をしたそうです。

 水路堀り(ちなみに赤土の粘土張りだそうです)には県の職員が来て指導したそうで、80分の1の傾斜で最初掘ったそうです。掘るのには1年半かかったそうですが、杉や広葉樹の葉等が入ってすぐに詰まってしまい使い物にならず、後で40分の1の傾斜で掘りなおしてやっと機能する水路になったそうです。一番苦労したのがこの水路掘りだということです。
その後は杉とクヌギを植えて、今の山を作っていったわけです。そして、牛を1頭飼いはじめたそうです。

白木尾集落からの眺め
 現在Tさんの息子さんのKSさんが世帯主で、奥さんのSさん、お二人の子供のMさん(20歳)、K君(高2)、R君(中3)の6人家族です。MさんとK君はそれぞれ村外に住んでいます。

 KSさんは8年ほど前からウッドピアの森林作業隊で働いています。Sさんも畜産センターで働いています。KSさんは現在川内の公民館長もされており多忙な日々を送られているようですが、3月が任期ということですので、もう一息の頑張りですね。様々な役目については公民館の大小にかかわらず役の数は同じですので、人選には毎回苦労されているようです。

 KSさんはTさんが牛1頭からはじめた畜産も引き継いでおられ、現在は13頭飼われ、林間放牧もされています。牛の値段も今は持ち直している(村の平均が約40万円)ので少しほっとしている様子です。海外の牛肉の安全性があてにならない今、安全な諸塚牛をこれからも育て増やしていって欲しいと思います。

 今度の1月から2月にかけての寒さは、Tさんも「今までになかった寒さ」だったようです。家のある場所の標高が約550mということなので雪もかなり積もるそうです。しかし、家の建っているのはなだらかな丘のような所で日当たりが非常によい場所です。もちろんそういう場所をTさんが選んだのでしょう。林間放牧されている牛もそこまで来ている春を感じているようで暖かい太陽の下幸せそうに見えました。

 白木尾は実行組合では「山瀬」(もちろん西郷村ではありません)に入るそうです。次回は、山瀬を訪ねようか。よろしくお願いします。

KSさん一家
(左からSさん、KSさん、Tさん、Rさん)
◆現在、諸塚村だけでなく全国の町村が、過疎と不況、合併問題などにより難しい状況に立たされています。そのような中、小規模の集落が点在する本村では、生まれた土地で頑張って、助け合い生活を築いている家族、集落が多く存在します。そういった集落の歴史や生活をかいまみることで、都会では得ることの出来ない自然の中での生活の喜びや、尊い営みの一端が見えてくるかもしれません。そのような視点でこのコーナーを続けてみたいと思います。