浅薮集落(川の口) |
諸塚再発見 シリーズ第5回
1.浅薮地区へ 先月に引き続きの川の口ですが、別件で浅薮を訪れたおり、「新年号にはここしかない」との直感(山勘)に導かれての取材地決定でした。
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2.生活をする人々 1軒はNTさんの世帯で、奥さんのSoさん、父親のMさん、母親のSaさんの4人が生活しています。N家はNTさんで6代目になるそうです。椎茸関係でテレビ出演等されているのをご覧になられた方も多いと思いますが、ご家族一丸で椎茸栽培をされており、県の椎茸品評会等でも上位入賞の常連になられています。個人から電話等での椎茸の注文がかなりあるらしく、取材時にも注文の電話がかかっていました。発送の際のパッケージのラベルをNTさんが自作されており、「霧六峰」ブランドのイメージで、浅薮が霧に包まれた写真に原木椎茸の写真を重ねてデザインしたもので、すばらしい出来です。 子供さんが3人おられ、息子のKさんがUターンする予定で、楽しみなところです。 浅薮地区の戦後の歴史についてもいろいろとお話を伺うことが出来ました。 また、日之影町で自家発電していると聞いては見に行き、自動車の発電機を水車で回して発電し、1家に1個電球を付たり、村内で2番目に早く耕運機を導入したりと、昔から先進的な取り組みをする地区であったことが分かります。
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2軒目はAGさんの世帯、奥さんのTさんとお二人です。A家はAGさんで6代目になるそうです。 父親が村会議員をされており忙しかったため、早くから家業をまかされ、椎茸栽培と林業を行ってきたそうです。造林に熱心に取り組んでこられ、「60歳までに、必要な椎茸の原木林以外は全て人工林にする」という夢を持ち、雨の日も雪の日も休まず仕事をして、夢を実現したそうです。「じゃから、母ちゃんには苦労かけとる。」と、ぽつりと言われます。現在では、材価が下がり、若いころ思い描いた将来との差はあったかもしれませんが、「やってきたことには本当に誇りを持っている。」というお言葉に、思わず「師匠!」と呼びたくなりました。 「山の仕事はほんとに面白いし、気持ちが大きくなる。」という言葉にはうらやましい気さえします。 Tさんは諸塚短歌会のメンバーで、毎月四季折々の歌を村報紙上でご披露頂いている歌人でもあります。
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3軒目はNAさんの世帯、奥さんのTさん、母親Kさんの3人、寒い時期、Kさんは延岡の子供さんの所に行っているようです。お寺にあった記録が消失したため正確にはNAさんで何代目になるか分からないようですが、浅薮で最も古くからある家のようです。浅薮では一番高い位置に家が建っていますが、NTさんのお宅のいわゆるもとや元屋になるそうで、分家はどんどん下に家を建てていくものだそうです。
NAさんは林業労務班の仕事に出ており、朝早くに出られ、帰りが夜の遅い時間になることも多いようです。Tさんは水本建設で働いています。
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3.終わりに 一番多い時で7世帯あった浅薮地区ですが、昔、地区の始まりに現在と同じ3世帯だったのが分家などで増え、また現在の世帯数に落ち着いたという見方もあるようです。ですからMさんも、「今後は3軒で続いていくだろう。」とおっしゃいます。 浅薮地区が早くから造林に取り組めたのは一つには水が豊富で米が良く出来て、食べる事に困らなかった分、力を注ぐことが出来た。ということをMさんがおっしゃいます。その土地がもたらす恩恵が、林業の振興の後押しをしたと言えるのかもしれません。 かつて黒木勝利村長時代「林木育種研究会」であちこちを視察して杉などの品種を研究して、どんなものが今求められるのかを考えたそうですが、現在は、どんな椎茸を消費者が欲しているかということを常に考えておられるそうです。NTさんが「自分の作ったものを売ってみるとよく分かる。」とおっしゃいましたが、精魂込めて作ったものを直接届けることで様々な反応がありそれにより分かってくる事が多くあるようです。NTさんもそれにより安心できる良いものをお客さんに届けたいという強い気持ちを持っておられるようです。 山と共に生活し、自然の恩恵を感じ、おおらかな気持ちで生活する浅薮地区の人々に接し、今回も諸塚の良さを再発見することができました。 |
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