諸塚再発見

下長川集落(川の口)
SIMONAGOU

諸塚再発見 シリーズ第4回

1.下長川地区へ
 諸塚から県道50号線を立岩方向へ走ること約15分小水流橋という小さな橋を渡ると道が二股になり、右が下長川の標識があります。下長川へは真弓岳線が走っており、道路改良が進んでいますが、途中からコンクリート舗装で、現在改良工事が進んでいます。それを行くこと約15分、下長川唯一の、MSさんのお宅が見えてきます。

 おじゃましたのは小雨交じりの早朝、霧が立ちこめていました。

2.生活をする人々
 MSさんと、穂白尾から嫁いで来た奥さんのYuさん、息子のYaさんの3人が生活をしています。松本家は昔は今の場所より少し下になる所にあったそうで、今の場所に移ってから重幸さんで4代目になるそうです。

 ちなみに下長川には数十年前までもう1軒世帯があったそうです。

 林業を営んでおられ、奥さんと2人でユニック付のトラックを使い材出しをしているそうですが、頼まれたときに時々、林業作業班の仕事にもでることがあるそうです。

 「材の値段が10年前の半分じゃからね。」と、今の楽ではない状況を語っています。

 椎茸の値段がまだ良かった時期には、椎茸栽培が主だったそうで、重幸さんの父親の(亡)Yさんは県のしいたけ品評会等では常連の、椎茸づくりの名人だったそうです。しかし、椎茸の値段が下がるとともに、林業の方に比重を移していったそうです。行男さんは11人兄弟だったそうですが、10はご存命で、お名前を聞くとそうそうたる方々が、村内でも活躍されています。

 林業の話ではなかなか明るい話も出にくい現実ですが、M家には頼もしい息子さんのYa君が帰ってきています。高校を卒業して去年Uターンして、耳川広域森林組合の諸塚支所に勤める19歳のYa君はやはりお2人の楽しみでもあるようで、Ya君の話にはお二人とも自然と目が細まります。

 村へお願いしたいこと等についてお聞きすると、「道路の整備は続けてもらいたい。」と言うことです。Yuさんに、失礼ながら、1軒屋で寂しいと思ったことはありませんか?と聞くと、「良く聞かれるけど、家族がいればそれほど気にならない。」また、「道が良くなって距離感をあまり感じない。」ともおっしゃいました。にぎやかな訪問客の皆様も不定期に訪れるようで、それ以外の時はかえって静かでいいのかもしれないですね。

3.終わりに
 「財源のことなどは合併問題では話に出るけど、公民館活動のことは話に出ない、どうなっていくか心配だ。」とは重幸さんの言葉ですが、一生懸命支えている公民館などの自治活動が合併という荒波の中でこれまでどおり維持されていくのか、住民にとっては心配も当然なのかもしれません。

 自治公民館活動は、諸塚が諸塚であるための核になるものであり、壊れることなど想像もできないほど当たり前になっているものかもしれませんが、諸塚の隅々までも行き届くそれは、集落と集落をつなぐ重要な機能を担い、多くの先輩方の苦労の上に成り立つ諸塚の文化であることを忘れてはいけないと思います。

 諸塚の社会生活の根元が、公民館活動にあることを改めて考えさせられる機会でした。

 M家の裏山に、お稲荷さんとして祀られている自然石があります。いわれは分からないようですが、昔の人が何かを感じ祀りはじめたものなのか、その場所に行ったとき何かが宿っているように感じるのは私だけでないのでは。

◆現在、諸塚村だけでなく全国の町村が、過疎と不況、合併問題などにより難しい状況に立たされています。そのような中、小規模の集落が点在する本村では、生まれた土地で頑張って、助け合い生活を築いている家族、集落が多く存在します。そういった集落の歴史や生活をかいまみることで、都会では得ることの出来ない自然の中での生活の喜びや、尊い営みの一端が見えてくるかもしれません。そのような視点でこのコーナーを続けてみたいと思います。