諸塚再発見

黒原集落(荒谷)
Kurobaru

諸塚再発見 第2回

1.黒原地区へ
国道327号線、荒谷橋手前から林道荒谷線に入り、菌床栽培施設を過ぎて林道野々崎線を進むと、国道から6q弱で黒原地区に着きます。日当たりの良い、なだらかな南向きの斜面に位置し、程なくして北郷村との境界というところに、現在2世帯が生活しています。

 最も多い時期には9世帯ほどが生活していたとの話で、村外の東郷や門川から、黒原のなだらかな地形を好んで、焼き畑に来ていたそうです。南の方角に山須原発電所を見下ろすことが出来ますが、電気が通ったのは昭和39年前後ということで、それまでは山須原に電気が灯っているのをうらやましく見ていたそうです。今のように車道が集落まで通ったのも電気が来たのと時期を同じくしてのことだそうです。

2.生活をする人々
1軒はHMさんのお宅で、奥さんのTさんとお2人で水入らずと言うのがぴったりの雰囲気のお宅です。2年程前までは椎茸栽培をやっていたそうですが、今は腰が痛かったりでやめていると言うことでした。お年を聞くと、HMさんが81歳、Tさんが80歳と言うことですが、しゃんとしておられてまだまだ若く見えました。

 HMさんは車の免許を50歳過ぎてから取得し、今でも毎日のように運転するそうです。「とにかく道が通ってさえおれば、車でどこにでも行けるから便利になったもんじゃ。」「若いころは想像もせんことじゃった。」と言われます。ただ、安全の事など考え、夜の運転はあまりしないようにしているそうです。

黒原集落 HMさん夫婦

 村外に住む娘さんや息子さんともよく連絡を取っていると言うことで、お2人とも今の生活は楽しんでおられるという印象でした。

 もう1軒は、HKさんのお宅。奥さんのJさん、娘のAさん。息子のK君、おじいさんのSさん、おばあさんのYさんの6人世帯です。長女のRさんは学生で県外にいるそうです。HKさんは森林組合の作業班長をしていますが、仕事が徐々に減ってきたことから、しいたけ生産に力を入れはじめ、平成9年に制度事業を受け、思い切って椎茸ハウス等の施設を建設し、原木に加え菌床栽培も始めたそうです。ご存じのように輸入物に押されて価格の低迷が続いていましたが、最近は乾椎茸の値段が持ち直しており、和志さんも、「頑張って続けちょけば、いいこともある。」と言われましたが、まさにそのとおりだろうなと思いました。

 HMさんが2代目、HKさんが3代目ということでも分かるように、地区としては新しい方に入るかもしれませんが、村外からわざわざ焼き畑に来ていたという話のとおり諸塚としては比較的なだらかな場所が多く、日当たりも良く、魅力のある土地であることは間違いないようです。ただ、標高約600mと、結構な高さにあり、「夏涼しく冬寒い」というJさんの言葉のとおり、昔は、氷点下10度程まで下がり空気中の水分が凍って輝いて見えるダイヤモンドダストが見られたそうです。「きらきらしてきれいじゃった。」とはTさんの談。

終わりに
 やや涼しい秋の風を感じながらの取材でした。2軒は畑を挟んで建っており、草を刈った後は芝生のようになっていました。遠く下方には山須原地区が見え水平方向には諸塚、西郷の山々が望め、広がり、開放感を覚えます。

 HKさんは、Kくんが仕事を継いでくれることを望んでいるようです。HMさんとTさんも元気に今の家に住み続けることを希望しています。
 集落が存続していくために必要な条件とは?1つには、それを支える村の教育や医療、福祉のハード、ソフト両面での統合や充実が、生活上も精神的安定の面でも大切なのでは、と今更ながら感じるのでした。

HKさん一家
黒原から山須原を望む
◆現在、諸塚村だけでなく全国の町村が、過疎と不況、合併問題などにより難しい状況に立たされています。そのような中、小規模の集落が点在する本村では、生まれた土地で頑張って、助け合い生活を築いている家族、集落が多く存在します。そういった集落の歴史や生活をかいまみることで、都会では得ることの出来ない自然の中での生活の喜びや、尊い営みの一端が見えてくるかもしれません。そのような視点でこのコーナーを続けてみたいと思います。