商工連 みやざき
 「経営者雑記帳」

諸塚村和風まるみや 代表取締役 有澤 裕司(諸塚村商工会)

■ 今は昔・・・
 古代ソクラテスの時代から、「昔はよかった、それに比べて今はどうだい」という話がされていたそうです。いつの時代も古き良き時代を懐かしむ声はあるようで、私が生活をする諸塚でも最近よく耳にする話です。
 諸塚は二十数年前に、村単位では全国でも初めてという高度化資金を導入しての商店街の再開発が行われました。当時、「山村の街がよみがえった」とのタイトルで全国放映もされ、毎週のように視察団が訪れ、街もそれなりに賑わったものでした。当時のビデオをみると先輩方が、これからの商いについて熱く語り、我が父でさえ、「売上が六割増えました」と誇らしげに語っていました。
 後継者として二十歳で帰村してきた私も、新築の家に住み、「映画のオープンセットのようだ」と表された町並みで生活出来ることで、刺激的な毎日を送ったものでした。まさか、二十年後、半数の商店が店を閉じ、空店舗対策に苦慮するとは夢にも思わずに・・・。
 現在、人口が二千三百人程にまで減少したこの村で商いを続けていくことは安易なことではなく、今後も商店の数は減りつづけることでしょう。食堂、仕出し、宴会等で生計を成り立ててきた我が家「まるみや」も、ここ十年来、売上が減少し、厳しい経営が続いています。明るい材料が何一つ見えない中、最近新しい波が起ころうとしています。それは、明確な自分の意志で、技術を取得し、志を持って仕事に臨む若者たちが出てきたことであり、また、時代の流れに対応して、新しいビジネスにチャレンジする後継者が増えてきたことです。消滅しかけた青年部も、部員が十名近く増え、各種イベントで活躍し、一OBとして刺激を受けるようになりました。飲食店の業界でも、私よりはるかに若い人たちが、新装、またはリニューアルして店を出し、新鮮なアイディアと、ひたむきな取り組みで活性化の一役を担うようになりました。彼らの無我夢中ながんばりには教えられることも多く、昔ながらの営業を続けていた我が家もメニューや営業の内容の再検討をはじめたところです。常に前を見ていないとおいていかれます。
 私は三年程前から後継者仲間三名と共同で葬祭事業を起こし、葬儀全般とそれに必要なプリンターを利用しての看板製作を手がけるようになりました。本業の「まるみや」ののれんを守りながらの新事業は、時として、家族に大きな負担をかけることもあり、私自身も不慣れな仕事で、精神も体力もぎりぎりの状態で臨むこともあります。しかし、厳しい状況が続く中、新たな可能性と光が見える限りは、がんばっていきたいと思います。
 今年の夏、三十年ぶりに商店街の夜空に花火があがりました。近いうちに盆踊りも復活しそうです。子供たちに聞かせていた古き良き時代の諸塚の面影が、少しは見せてやれそうです。