諸塚に関するライブラリー
天空の住処・諸塚の
「地元再発見ツアー」

現代農業 2002年5月号増刊掲載
特集「新ガーデンライフのすすめ」-庭、里山、鎮守の森-

森の村外流出を防ぎ、全村森林公園をめざすむら 

天空の住処・諸塚の「地元再発見ツアー」

村人とともに資源を発掘

文責:諸塚村企画課

諸塚村の概況
○諸塚村(もろつかそん)・・・・宮崎県の北部、九州山脈の中に位置し、林業と椎茸の村。戦後の拡大造林により進められた杉とクヌギの混植が美しいモザイク型の林相を織りなす。
【人口】2,402人(男/1,148・女/1,254人)【産業別就業者割合】第1次産業35.4% 第2次産業20.0% 第3次産業44.7%

自治公民館組織の充実
 諸塚村の自治公民館活動は、全国でも類を見ない「諸塚方式」といわれる独自のスタイルをとっている。それは、行政と地域の自治公民館が車の両輪にたとえられ、村民同士の相互扶助のみならず、地域づくりをも含めた社会的な課題まで包括する充実したものであると対外的には評価を受けている。
 昭和63年には農林水産祭・むらづくり部門で、諸塚村自治公民館連絡協議会が『天皇杯』を受賞した。いうまでもなくこの受賞は、諸塚村を支え続けてきた先人たちの功績を抜きにしてはなしえなかったことであろう。全村森林公園化の実現を探求しながら、わが諸塚村は特色ある自治公民館活動に、今後も力を入れていくことになる。
 
諸塚村土地村外移動防止対策要綱
 このむらづくりを支える施策のひとつに、昭和35年に策定された、「諸塚村土地村外移動防止対策要綱」がある。
 高度経済成長の進展にあわせ様々な事由により村を離れる者が相次ぐ一方、売買等により山林の所有権が村外に移動した。そうすると、作業道等の開設に不在村者の同意が得られなくなり、村の主要産業である林業の振興を図る上で深刻な問題が発生した。これを防止できたのがこの要綱で、その概要は、
@ 村長、公民館長及び村議会議員を構成員とする「諸塚村土地村外移動防止対策委員会」を組織し、青年と婦人連絡協議会員を協力員に委嘱し、情報把握や村民への指導援助をお願いする。
A 委員及び協力員は、所有者の事情によりやむを得ず売却する土地については、村内居住者に売却するよう仲介し、また早期に造林ができない土地については、森林組合等との分収造林契約を斡旋する。
B 委員及び協力員は、村外者へ土地売買を仲介する者に対して、将来村の発展の障害となり、村自体の弱体化の根元となるこを説明し、売買仲介を断念するよう説得する。
 本要綱により山林の所有権の村外移動が防止されたものは、平成8年度までに84件、842f。不在村者所有森林割合12.5%(2000年センサス)と県平均の22.4%に比べて低く押さえられ、一定の成果を収めている。

自立自走のむらづくり〜全村森林公園化構想
 そうした流れを受け、策定された第4次諸塚村総合長期計画(2001-2010年)の基本コンセプトは、全村森林公園・諸塚「百彩の森づくり」である。その骨子は@豊かな森の恵みを生かす"素顔が美しい森之国"を創ること? 森の恵みを永続的に活用し、林業と交流産業を中心とした"複合経営"を行うこと? 教育や福祉等についても全村森林公園化事業に関連させること?諸施設の運営は、"自治公民館主導"で行うこと? 事業は"自立・自走"を目指す となっている。この事業は、諸塚村民が自ら地域社会を研究し、未来を創造していくためベースとして、地域全体を森林公園と見なし、住民と行政が協力して自然資源と人的資源を有効に活用しながら、諸塚独自の自治公民館を中心にした運営を行おうとするものである。
 実践的には、平成13年にリニューアルした「しいたけの館21」を総合情報発信基地=コア施設と位置づけ、諸塚村観光協会に運営委託している。この施設は、様々な交流事業の企画運営・情報発信機能を担っており、池の窪グリーンパークや諸塚山渓流の里などの管理運営と「森の古民家」などの自治公民館営サテライト施設運営のディレクション機能も期待されている。
 また諸塚山スカイラインを中心に日本一の路網密度を生かした全村ロードパーク網を整備し、それらの施設や自然遺産や文化遺産、産業遺産などの地域資源を、有機的に結合させようとしている。

交流事業の展開
〜木材産地ツアーからまちむら応縁倶楽部のエコツアーへ〜

 諸塚村の都市との交流事業が本格化したのは、産直住宅の木材産地ツアーからである。村と森林組合の協力で平成9年に始まった諸塚村産直住宅プロジェクトは、木材などの森林資源や自然、地域の文化を生かした都市との独自の交流を通じた山村文化の再評価によって、山村の人々が自信を持って生活して行く基盤を作るエコビレッジ諸塚プロジェクトをベースにしている。自然素材を使った家づくりや体験交流ツアーなど地域資源、地場の素材を活用したイベントを企画し、単なる素材の直売や観光開発に終わらない、人にも、地球にも優しい生活提案型の交流運動を展開し、地域の人々が自らの地域社会を研究し、自らの未来を自ら創造することを最終目的とする。平成13年末で、熊本、福岡、宮崎など九州一円で受注実績40棟を超えている。「木材産地ツアー」は、九州各地の都市市民に呼びかけ、諸塚の木材生産現場の見学はもちろん、夜神楽、文化祭、地元の祭り等の山村行事へも参加する都市と山村との交流事業の草分けとなった。これまで延べ25回で、約600名の参加を得ている。
 この産直住宅プロジェクトが起爆剤になり、数年前から諸塚村では、あるがままの自然と村の祭りなどの生活文化をバックグラウンドにして、村民みんなが協力し、手づくりのもてなしを行う都市市民との継続的な交流が活発化している。この諸塚型のグリーンツーリズムは、都市市民にとって、心のふれあう、癒しのツアーとなるだけではなく、村民にとっても自分たちの生活や伝統文化の再評価の機会となることが重要である。あるがままの自然と、心の交流を重視し、都市と農村とがお互い縁を結びあい、密度の濃い継続的な人間関係を大事にする。まさに「森の恵み」と「人とのふれあい」である。
 平成10年に森の古民家「やましぎの杜」を村が整備し、それを活用したエコツアー「森林の学校へ行こう」が始まっている。農林業体験と食体験を織り交ぜながら、お茶摘み、田植え、そば打ち、炭焼きなど、四季に応じた山の指導者の実習授業がある月1回ペースのツアーである。長期的な視点で、やましぎの杜を心のふるさととして、森の中の集落生活体験を行うのである。
 また、森の古民家「藤屋」を活用した「大豆応縁倶楽部」の活動は平成12年からである。公民館内の農家の協力で、安心して食べられる無農薬の大豆の耕作を会員制で行うもので、種まきや草取り、収穫に会員が参加し、自分で作った安全な大豆を美味しく食べる幸せを体験でき、地元のおばあちゃんが楽しみながら休耕田も蘇る一石三鳥の企画である。
 これらの企画は、地元公民館にある自然や人材資源をベースに地域住民が可能なものを都市向けにアレンジプロデュースしたものであり、全村的には16公民館=16種類のオリジナル交流事業の企画運営を勧めることで、全村森林公園・諸塚の原動力となる。

発見! 驚き! 知らなかったむらの魅力がいっぱい地元再発見ツアー・くぬぎ櫟の森プロジェクト
 五ヶ瀬町から飯干峠を越えると、諸塚村に入る北からのルートがある。西南戦争の時、ここを薩摩の西郷軍が通り、官軍も追いかけてきたのである。峠を下るにつれてその景観は見事に壮大な姿を現し、霧六峰といわれる程、深い峡谷が日本建国の伝説地のロマンを思い立たせる。標高の高い所から、アカ、ツクバネ、ウラジロ、シロ、イチイ、コナラ、クヌギ、コジイ、ハナガと樫の木街道を演出している。ときおり、木立から垣間見える美しい山桜、小鳥たち、人の心を癒してくれる森深い山里が、「天空の住処」というイメージを抱かせてくれる。諸塚村は、林業立村をスローガンに、山を守り、森林を創り、自然と共生しつつ、森の恵み=(シイタケなどのキノコ)を生む木、クヌギと共に暮らしを育んできた。そのクヌギを讃え、感謝する森をつくりながらむらづくりを進めてきた。ここは「自分のことだけでなくお互いのことを、現在のことだけでなく子や孫の代のこと」を考えながら生きてきた。櫟の森プロジェクトは、その森の持つ価値や機能を充分に生かすために始まったといってもよい。
 「くぬぎ檪の森プロジェクト」は、森林には、人の心を癒す景観や身近に触れあう場が存在するという審美的機能の側面から、森林を見直そうという試みである。そのため、自治公民館と連携し、自然・伝統文化など、森林文化=日本の歴史的原風景を遺した諸塚村地域全体を再評価し、都市と山村が共生する豊かな『くぬぎ檪の森』づくりをすすめ、これからの地域づくりつなげようとするものである。
 プロジェクトでは、この自治公民館組織と連携協力して、地域資源の探索ツアー「地元再発見ツアー」を全村的に展開している。ツアーは、都市住民と地元の人が一緒に地域を探索し、地域内にある資源を見直し、再評価する。地元にとってなにげないものも都市部住民にとってみれば素晴らしい資源であったりする。フィールドワークの手法でなされた「地元再発見ツアー」は初年度に6公民館、2001年度に4公民館を実施した。ツアーでは地元の写真撮影や聞き取りを行い、神社・仏閣、有用植物、水のゆくえ、巨樹・巨木、草花や暮らしの逸話等、さまざまな角度で地域を解体していくことで、徐々に地区公民館の姿が明らかになっていく。「地域固有の風土には固有の暮らしがある。」地元学の吉本氏の言葉であるが、それを実感することになる。地元では当たり前でも、都市部住民の驚きを目の前にして、昔の暮らしの良さや懐かしさ、愛着を感じる。さらに、地域をテーマ毎に分類し、マップにすることで、地域公民館の解体新書ができあがるのだ。この「地元再発見ツアー」は様々な副産物を生み出している。
 地元再発見ツアーを、地元の人の創造行為と捕らえると、地元公民館参加者の感想は、「今度の調査をどのようにして、若い人に伝えていくか、責任を感じる。若い人がどのように村を愛し、どのように生きて行かなくてはならないのか、考えなくてはいけない。」と地元への意識形成の表れを感じるのである。そして、一様に「さらに続けよう」という感想は「諸塚学」への第一歩を感じさせ得るものである。

これからの「諸塚学」
 地元再発見ツアーで掘り起こされた資源の中で、諸塚村全域に共通して豊富にあるのが「薬草・薬木」である。そこで「薬草・薬木」を標高800bの高原地にある池の窪グリーンパークに集め、代表的森林公園として交流空間を充実させる計画も進めている。2002年4月のオープンを間近に控えている当公園では、薬草・薬木の苗の販売や自然の風景を作る野の花のプランターの製作販売、四季に映えるハーブガーデン、小高い丘から流れる清流などを楽しめる。
 このような共通する資源の掘り起こしとは別に、各地域公民館で新たな交流事業への取り組みも始まった。例えば、七ツ山公民館では40年ぶりに復活する神面行列がそれだ。諸塚村全体では約200面程神面があり、旧高千穂郷では最大数であるという。2002年の4月29日にその祭りが開催される。家代公民館では、夏と秋の祭りに合わせた地域独自のツアーを計画中であり、特に11月3日開催予定の家代の地芝居は村人で満杯のスペシャルなものである。八重の平公民館では、江戸時代に建立された観音堂の修繕を、都市部の建築家との連携によりワークショップ形式で行う予定である。また、物づくりについては、諸塚村産直住宅をベースに「エコロジカル産業もろつか」として総合住宅産業への展開をねらっている。例えば現在開発中である「杉を使用した和紙」がそれである。村には製材過程で出る多くの樹皮がある。また、かつて村は昭和28年ごろまで、13戸の民家が紙漉きで収入をあげていた。原材料は「コウゾやカジ」であり、製品の多くは村内を始め西臼杵地方に販売されたという。近代工業により紙の大量生産が行われるまでは、地域に潤いをもたらす産業だったのだ。村には、そのために当時のコウゾやカジが多く散在していることが、「地元再発見ツアー」で再認識された。「杉を使用した和紙」はその「コウゾやカジ」も混入して開発した。これから、研修を積み重ねながら和紙製作をする予定である。同様に、その杉を生かした成分解性のポットの開発、あるいは杉の元玉を活かした建具の部品化など、「エコロジカル産業もろつか」は「くぬぎ櫟の森プロジェクト」の物づくりの始まりである。今後プロジェクトを気運に乗せることで、地元の交流意識を定着させて、さらに諸塚型の新しい形態のグリーンツーリズムへと発展することを期待している。特に、地域づくりの基本は、行政主導から脱却して地元が主体となるべきと考え、各自治公民館ごとに、責任部隊(年輩者)と実働部隊(若手)を育成することもねらっている。
 前述したように、コア施設である「しいたけの館21」とプロジェクトが有機的に結合し、むらづくりの原動力となることは、間違いない。
 かつて本村の主要産業であった第一次産業は低迷し続けている。しかし諸塚村の現在と未来には、そのような現実を見据えながらも、「くぬぎ櫟の森プロジェクト」や「産直住宅プロジェクト」に代表される諸塚村独自の産業形態が根付きつつあり、やがてそこから多くの枝葉が繁り、大きな実をもたらすことを信じて今日も着実な歩みを続けている。

 


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諸塚村企画課 しいたけの館21
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