ボランティア365(1年間ボランティア計画)
 

4代目:児玉香子さん(平成13年4月〜平成14年3月)

香子ちゃんのボランティア計画 V 総集編   

 児玉香子さんは、平成十三年度に本村で一年間ボランティアとして活躍されました。諸塚の産業や、福祉に関わる様々な場所で活動をされ、新しい風を運んでいただきました。諸塚を発つ前に、本村の公民館活動等を通して感じたことを文章に残されました。是非皆様に読んでいただきたい文ですので、ここに紹介します。


「諸塚方式の公民館活動について」
 その名前さえも知らなかった私が、諸塚村に住み、1年間ボランティアとして過ごして来た。

 初めて来た時は、傾斜の急な坂道や山の高い所に集落があることに大変驚かされた。しかし、整然と手入れされたまぶしく萌える茶畑と、村民のみなさんの親しみあふれる笑顔から、活気ある村なのだと感じた。このエネルギーの源は何だろうということが私の疑問であった。

 ボランティアとして何ができるのか、なかなか自信がなく、私は「村民の一人になる」ことを大きな目標とした。

 畜産センター、保育所、社会福祉協議会、椎茸の菌床施設、特別養護老人ホーム、特産品販売所、農協の直営農場と、様々な施設、産業に触れる機会を頂いた。また、村の行事や青年団活動には積極的に参加した。どこに行っても、みなさんがやさしく受け入れてくれ、私のぺ-スに合わせてアドバイスしてくれた。活動内容は初めての体験ばかりで、毎日新しい発見の連続であった。全身がアンテナみたいに新鮮な情報をキャッチした。そして、これまでの私と比べると3年分くらい身体も心もよく動いたように感じている。

 活動を通して、諸塚では公民館が重要な役割を担っていることに気が付いた。公民館とは単に建物を指すのではなく、集落自治の活動組織をいう。

 戦後、文部省の方針により公民館活動が試みられた。しかし、それは公民館という施設を通してのみ行われる人間教育であった。諸塚のような農山村では末端にまで浸透できず期待する効果は得られなかった。そこで、集落ごとに壮年部会、婦人部会、青年部会を設け、これらの団体に対して社会教育を行うことになった。後に全ての部落に公民館が完成し、地域住民の集まる場、活動の拠点として変らず現在に至っている。

 社会教育は、公民館の実践活動として日常に直結している。つまり、地域住民の生活そのものが公民館活動であるともいえるのである。社会教育が村おこしにつながる実践活動として展開された点が特色であり、これは諸塚方式ともいわれる。

 具体的には、田植えや稲刈りの加勢、夏の道切り(道路沿いの草刈り)、老人会の触れあいサロン、婦人グループによる特産品の加工などがあげられる。私も話を聞いたり活動に参加させてもらうこともあった。いずれもお互いに助け合い、生活をより良くするための活動である。

 中でも、春祭りや秋祭り、団七踊、臼太鼓踊、神楽などの伝統芸能は総合的な公民館活動といえるのではないだろうか。祭りが近づくと人々は公民館に集まるようになる。知識と技術をもった年長者から青年へ、さらに子どもたちへと毎年伝習は繰り返されていく。お年寄りは行事を楽しみにしており、婦人会は心づくしの料理でもてなす。公民館全体で盛り上げ、盛り上がるのを感じた。

 昼間、作業の手を動かしながら教わったり、夜、飲み方(飲み会)の席で伺ったりした話からは、本当に地域住民のつながりを感じる。近所の家族の状況を互いによく知り合っており、お年寄りの生活や子どものしつけを特に大切に考えているようだ。そして、私も実際にたくさんの方々に見守られ、助けられ、応援していただいて元気に活動することができた。ボランティアという立場で何ができるのかを考えていた私だが、諸塚では地域の中での生活そのものが自然とボランティアに結びついていることが分かった。そして、村民のみなさんはそれがごく当たり前のこととして生活している点が素晴らしいと感じた。今では、あちこち行った先でボランティアさんと呼ばれることが恥かしくてならない。

 高齢化と人口の減少により、新たな課題が生じてきていることも知った。近年、青年団や消防団は公民館ごとの活動維持が難しく、次第に統合されてきている。また、世帯数が減るにつれ、一軒の負担が大きくなってきている。例えば、公民館の役員を引き受けたなら、毎日の生活の忙しさに加えてその仕事を勤め、行事に参加していく努力が必要となるのである。私にはまず長所しか見えてこなかった。そのため、このような村民の本音を知ったり今後の問題や不安について気付いた時、とても考えさせられた。
しかし、何十年も公民館活動の伝統が続いてきたのには、それだけの理由があるはずだ。

 面積の95%が山林で、集落は山腹に点在している。隣家まで数キロ離れた家もあるなど交通が不便である。反対に、家族のきずなが強く、親戚や近所の人々との心理的距離はとても近い。汗を流して働き、正直に付き合う人々。そんな安心して住める村で、私は疑うということを忘れてしまいそうだった。

 様々な背景から確立された公民館活動中心の村づくり。これは都会にはない諸塚ならではのものであり、たとえよだきい(めんどうだ)と思う者がいてもやはりここには必要だったのではないだろうか。助け合いから生まれる笑顔と思いやり。これが村のエネルギーの源であると私は感じている。都会をまね、近づこうとするのではなく、諸塚らしい自然環境と森林資源を活用しつつ発展を目指す、元気な村である。

 成人式では「ずっと諸塚で住みたい」「将来必ず帰って来る」と胸を張って発表した人がいた。この村が大好きになった私は、思わず他よりも大きな拍手を送ったのだった。

 さて、間もなく一年間の活動を終えようとしているが、私が最初の目標に近づくことができただろうか。山が色づき始めたある日のこと、夢に村の方が登場した時はうれしかった。「思いっきり諸塚の良さを満喫し、ここでの生活や生き様を知ってほしい」「驚きや感動をもってのびのび活動することが村民にとってよい刺激になる」など、たくさんの励ましの言葉が心に残っている。私が私のまんまでいられることに幸せを感じた。素直な気持ちにしてくれた諸塚の自然と、支えて下さったみなさんのやさしさに感謝している。

 すっかり諸塚村民になるということは、普段の生活の中で無意識のうちにボランティアしているということかも知れない。

諸塚村広報誌「もろつか」平成14年4月号より

「文化の夕べ」での
香子ちゃんの熱唱