天皇杯受賞

昭和63年 第27回 農林水産祭村づくり部門
              天皇杯受賞

※天皇杯の解説

受 賞 者 諸塚村自治公民館連絡協議会
所 在 地 (宮崎県東臼杵郡諸塚村大字家代)

受賞理由 
 諸塚村は、地形が急峻で谷も深く、人家は3〜10戸の小集落をなし村一円に分散居住しており、狭少な平地と広大な山林を特徴とする山村である。

 かつては地理的に不便で、経済基盤も弱かったが、戦後いち早く人づくりに力を注ぐとともに、この独自の自治公民館を創設し、全村民参加による豊かなむらづくりに取り組んできた。

 産業面については、昭和32年に自治公民館産業部が中心となり、全村民の話し合いの中から産業振興の柱を、この地に適してきた用材、椎茸、畜産、茶の4大作目による複合経営と定めて取り組んだことにより、特に造林、椎茸生産に高い成果を得ている。また、この複合経営方式は、林業の長期性による収入の間断性や椎茸病害の蔓延等の危機を乗り上げる上で優れた効果をもたらし、農林家の経営に大きく貢献した。

 更にこれらを推進するため、昭和30年代から計画的に道路網を整備してきたが、この道路網は全ての路線が接続され、行き止まりのない循環方式であり、道路密度も全国トップである。これにより生産コストの提言が図られたばかりでなく、生活面の向上にも大きく貢献することになり、後継者も確保された。

 生活面では、自治公民館婦人部が主体となり、台所の改善、家庭菜園づくり等の食生活の改善、トイレの水洗化、週1回の禁酒日の設定などに取り組み大きな成果を上げている。また、最大のテーマとしてきた村民の健康づくりについては、健康診断受診促進運動を展開し、昭和61年度には、各種検診受診率を91%にまで高め、健康増進に貢献している。

 このような自治公民館を中心とした全村民参加による村の特性を活かした40余年にわたる「むらづくり」の取り組みが、非常に優れたものであるとの高い評価を受けている。

審査概要 〜受賞記念の小冊子からの抜粋
1.むらづくりの概要
 諸塚村は、宮崎県の北部、日向市の美々津浜に注ぐ耳川の上流約50kmに位置し、面積約19,000ha、人口約3,100人の奥地山村である。

 村内には山稜が走り、しかも地形が急峻で谷が深く、自然で平地は少ない。約900世帯の大部分は中腹の比較的緩やかな傾斜地を選んで3〜10戸の小規模な集落をなし、村内一円に分散し居住している。

 総面積の95%は山林で、耕地面積は1%にも満たなく1戸当たりの平均保有面積は森林約20ha、耕地約0.3haとなっている。住民の大半は林業を合わせ営む農家である。

 諸塚村は、戦後いち早く、人づくりに力を注ぐとともに、後に諸塚方式と呼ばれるこの村独自の自治公民館を組織し、むらづくりの基盤を築いてきた。

 むらづくりに当たっては、急峻な地形、広大な山林、人家の分散という村の特性を受け入れ、巧みに活かすことを基本に据え、
@ この土地に適合した4作目による複合経営を軸とした産業振興
A 実態に即した生活改善
B これからのための道路網の整備

等に全村民、各機関が一体となって、40余年にわたり取り組んできた結果、現在では「日本一の林業の村」という高い評価を得るに至っている。

2.むらづくりの内容及び成果
(1)むらづくりの基礎となった人づくりと組織づくり
 ア.人づくり
 諸塚村は、戦前から社会教育を重視しており、「村づくりには人づくりから」との考えに立ち、昭和21年からこの村独自に「成人祭」を創設し、満20才の男子と満18才の女子を対象に、10日間の宿泊による社会教育を実施し、人づくりに力を注いできた。当時、村民の経済も苦しく、村の財政も困難な中にありながら、講師には、著名な文化人、大学教授、県の幹部を招くという本格的なものであった。ここで育った人達は、現在、村のリーダーとなってむらづくりを進めている。
 なお、人づくりの重視については、自治公民館活動と村政の重要な方針として、現在も受け継がれてきている。

イ.自治公民館活動によるむらづくり
 昭和21年、文部省より社会教育中心の公民館施設が設置され、諸塚村にも22年に諸塚村公民館(現中央公民館)が建設されたが、施設を通してのみ行われる人間教育では、諸塚村で目指す村の振興を図ることは難しかった。
 そのため、戦前から各集落毎に活動してきた青年団等の組織に取り込み、産業振興等の実践活動を主体とした自治公民館づくりに着手したが、当時の占領政策の下では、戦前の組織は全て解体を命じられており推駐軍の許可を得ることが出来ず、再度諸塚村に各部会(壮年部会、婦人部会、青年部会)が結成されたこととして、県とともに推駐軍に直接交渉した結果、ようやく許可されることとなった。
 このようにして全国で初めて結成された自治公民館組織は、村内16地区に設けられ、その後組織の改正を行い、昭和57から現行の自治公民館連絡協議会(以下「自公連」という。)と傘下の各地区の公民館(16箇所)からなる現在の組織に再編されている。自公連は、各公民館と村、農協、森林組合等各機関との調整を行い、一体となってむらづくりを進めている。
 全ての村民は、各公民館の部会に所属し、それぞれの役割を分担するともに、何事も徹底した話し合いの下で調整、決定、運営されている。また、決定されたことは、下部組織である実行組合により直ちに実行される等抜群の実践力を発揮している。

 (2)農林業経営の改善
 ア.基幹作目の選定
 昭和32年、公民館産業部、村、農協、森林組合等からなる村産業振興協議会において、この土地に古くから適合してきた用材・椎茸・畜産・茶の4大基幹作目による複合経営方式は、林業収入が間断的であることによる経営面での不利の克服や、椎茸病害の蔓延などの危機を乗り切る上で、優れた効果を発揮し、農林家の経営の安定に大きく貢献してきている。

イ.土地の村外流出防止対策
 昭和30年代に入り、村外者による林地買収が目立つようになったが、自治公民館の働きかけでこの村独自の「土地村外移動防止要綱」が策定され、これに基づいて、自治公民館では林地を売る人は公民館に相談し公民館に相談し公民館地区内の人に売る運動を昭和35年から展開した結果、現在までに60件、686haが地元農林家に取得され、経営規模拡大と道路づくりの円滑化等基盤整備に大きく貢献している。

ウ.山村を変えた循環高密道路網の整備
 各公民館においては、昭和30年代当初から公民館区内の道路計画をたて、各集落最大の念願であった車道の開設を集落ぐるみで進めてきた。昭和61年度末の村内道路密度は43.6m/haと全国トップである。
 作業道の作設当たっては、地形・地質に配慮した降雨等の災害に強い横つなぎの線形とし、全ての路線は接続され行き止まりのない循環方式となっている。
 この循環高密道路網の整備によって、椎茸生産、林業生産の作業能率や労働安全性の向上、コストの大幅な低減が図られた。とくに間伐材生産は、一般的には不精算のケースが多いが、諸塚村ではすべて精算ラインに乗っている。
 これらの間伐材については、県森連を通じて中国等への輸出も試みられている。
 また、林業等の生産基盤が強化され、円高等により益々増大する外材や輸入椎茸との厳しい競争に打ち勝つことの出来る足腰の強い体制が整備されつつある。

エ.生態系を生かしたモザイク模様の森林造成
 昭和30年代当時20%であった人工林率は、現在86%(全国40%)に達している。造林に当たっては、適地適木による適切な樹種選択が行われ、とくに椎茸原木としてのクヌギ造林に意を用いた結果、生態系を生かしたいわゆるモザイク模様と称される多彩な森林が全域にわたって造成された。
 なお、椎茸の原木林は、人工林面積の25%に当たる3,500haが造成され、原木不足が深刻な状況の下にあって、自給率100%を達成している。

オ.生産量・品質ともに全国トップクラスの乾椎茸生産
 農林家の90%で生産されている乾椎茸は、諸塚村の中核的な作目で、各公民館対抗で毎年開催される産業共進会が生産技術の向上等に大きく貢献している。
  また、道路網の整備が進むにつれ、沿道への榾場の集中化・浸散水施設の設置が進められ、作業能率の向上と生産技術の高度化が進んだ。この結果、単位材積当たりの生産量は高い水準を示し、質・量ともに全国的に高い評価を得ている。
 また、天候に左右されない安定した高品質椎茸の生産をめざして、ハウス栽培等新技術への取り組みも県下のトップをきって進められている。

カ.小径木加工工場の設置
 大量に生産される間伐材の付加価値を高めるとともに雇用の場を拡げるため、加工施設を建設しようという強い要望をうけた自公連産業部の働きかけにより、森林組合は、昭和59年には村助成金、組合員の増資等により、小径木加工工場を設置し、さらに62年には幅はき゛板加工工場を増設した。
 この工場では、村内で生産される間伐材16,000 立法メートル(年間)を加工し、売上高は4億円に達している。従業員は各公民館から推薦された30名の後継者で、平均年齢は23才である。

キ.担い手の育成
 昭和33年に林業後継者30名で林木育種研究会が結成され、造大造林の推進に当たって優良系統の苗木植栽を進めてきた。いまこのメンバーは各公民館のリーダーとして活躍している。
 その後、公民館青年部の活動は連綿として続き、機能集団としてSAP(農業繁栄のための学習)16名、林研グループ70名が組織され、地域の課題解決に取り組んでいる。また、61年には各公民館から推薦された19〜33才の後継者28名で「諸塚28人会」が結成され、新しい村おこしに取り組んでいる。これらのことは、道路網の整備、農林家の経営安定、村の近代化が計られたことと挨まって後継者の確保に大きく貢献し、後継者の確保に大きく貢献し、後継者は95%以上(県平均61%)が確保されている。

(3)住みよいむらづくり
ア.家庭内環境整備
 昭和30年代より自治公民館家政部が主体となって台所の改善運動に着手し、それまで寒く、暗く、非能率な台所を、冬でも温かく明るいものとし、プロパンガス等の導入、簡易水道の設置も含めた台所改善を進め、昭和55年までに全戸完了した。
 また、トイレの水洗化は昭和57年より着手し、それまで皆無であったものが昭和61年度末には全戸数の14%まで普及した。

イ.健康づくりの推進
 各公民館の婦人部会では、健康づくりを最大のテーマとして部会発足以来積極的に取り組んできている。その結果、61年度の健康診断の受信率は、一般検診91%(県平均33%)、胃がん検診50%(同13%)、子宮がん検診51%(同33%)と何れも県下のトップクラスの受信実績をあげている。
 なお、62年からは週1回禁酒を守る休肝日が設定され、村全域で完全実施されている。
 また、昭和35年よりそれまで購入に頼っていた野菜を、自家用野菜の完全自給を目標に家庭菜園運動を展開した結果、近年では立派な野菜も供給されるようになり、食生活の改善に多きく寄与している。
 この野菜づくりは、野菜研究会によるこの村の冷涼性を生かした高冷地夏秋野菜、夏きくの生産にも発展的に継承されている。

ウ.美しい生活環境づくり
 昭和57年度から、花に包まれた美しい郷土を作ろうと、自公連社会部により一家庭一花植栽運動が展開され、各家庭で四季折々の花が植栽されている。公共施設や沿道等には、寿会(老人クラブ)が養成したツツジ苗が、今までに11,000本植栽され、村内は美しい花に彩られている。
 なお、寿会は、次代を担う子供達に、この村に伝わる夜神楽、団七踊り、臼太鼓や昔話の伝承にも力を入れている。
エ.生活道路の整備
 道路網の整備は、村民生活に大きな変化をもたらし、村民による道路網の維持・管理が各公民館により定期的に実施され、安全な走行と災害の未然防止に努めている。また、村から舗装資材の提供を受け、公民館で労務を提供して舗装工事が計画的に進められ、各戸に至る道路は全て舗装される。 (4)森林理想郷を目指して  諸塚村では、いま、フォレストピア(森林理想郷)構想の具現化に向けた取り組みが、隣接3町1村と共に始められており、豊かな自然の恵のなかで、全村民がそれぞれの役割を担いながら、いきいきとしたライフスタイルづくりを目指している。
 この中で、木の文化の高揚を柱に、林業体験学習村として都市住民や次世代を担う青少年との質の高い交流促進が計画されており、その核ともいうべき、「しいたけの館」が63年7月に完成した。また稜線スカイラインによる周遊観光、山岳高冷地を生かした花・野菜・山菜づくり等も着々と実施に移されつつある。さらに、木材、椎茸等の村内産品の高付加価値化を一層推進することなど公民館活動を通じて、諸塚村は、森林理想郷づくりを目標に、たえず新しいものへの挑戦を続けている。

3.すぐれている点
(1)諸塚村のむらづくりにおいては、この村が独自に育ててきた自治公民館が主体となり全村民は公民館の各部会に所属しそれぞれの役割を分担しながら、活動を通じてむらづくりに参加するという、全村民参加によるむらづくりが40余年の長きにわたって連綿と継続されてきている。

(2)産業の振興に当たっては、自公連産業部が行政と一体となって4大作目による複合経営を推進し、農林業経営の安定、生産技術の向上に大きな役割を果たしてきている。農林家の安定は、生活環境の整備と埃まって後継者の確保につながり、後継者の不安は諸塚村には無くなっている。
 また、諸塚村の特徴の一つとしての循環高密道路網の整備においては、自公連は道路計画の策定、道路の開設、道路の維持管理等に主体的に取り組んできており、これは産業面の振興のみでなく、急峻な地形の諸塚村を住みやすいものとする生活面の工場にも大きく貢献している。

 (3)生活面では、自治公民館婦人部会等の活動により、台所の改善、家庭菜園からの野菜づくりに取り組んだ結果、健康診断受信率が県下トップクラスとなる等大きな成果を上げてきている。

 (4)さらに、諸塚村においては、自治公民館と村、農協、森林組合、保健所等の各機関が緊密な連携の下にむらづくりに取り組んでおり、地についた体制が確立しているためむらづくりの方針が極めて安定している。

  以上のように、諸塚村の自治公民館を中心としたむらづくりへの取り組み及びその考え方は、優れたものであり、極めて高く評価されるものである。

「受賞にあたって」

          諸塚村自治公民館連絡協議会 会長 尾形 森衛

 昭和20年の終戦後、国民は目標を失い自暴自棄の状態であった。これを憂えた郷土の先輩たちが、特に若者を教育して村おこしをはかねばと、昭和21年から男20才、女18才を対象に成人講座を開始した。約1週間から10日間実施し、その最終日に成人祭を行い証書を授与した。第1回は昭和22年4月3日に実施し、戦後の人づくりが始められた。

 また、戦後、公民館組織を設置する際、以前から諸塚で活動していた「壮年会、婦人会、青年会」などの組織を公民館活動の中にとり入れ、それまであった区長制を廃止してすべて自主的活動を基本とした諸塚独自の「自治公民館運動」による「村おこし」を推進した。これは人づくりを基本にして進めたので、村民の社会情勢についての知識や相互の連帯感、協調性などが培われ、村民総ぐるみ体勢ができて着々と実績を上げた。

 その成果には、昭和26年以来、村納税期100%完納の継続があるほか、昭和30年代から村に適合した基幹産業を木材、椎茸、茶、牛の4つにしぼり、複合経営方式を奨めた。さらに村民の願望であった道路網の開設整備に積極的に取り組んだ結果、現在の路網密度は1ヘクタール当たり44メートルと全国一になっている。また人工造林率は85%となっているが、適地適木方式で椎茸の原木の自給体勢もほぼ達成している。自治公民館の要望により昭和59年村内生産木材の加工工場が完成し、柱、板類(巾はぎ板)の生産も順調で、年間4億円以上の売上があり、職場には林家の後継者30人の若者が就職している。 健康づくり運動は婦人部が中心で進め、家庭菜園の普及や検診受信率の引き上げ、週一回の禁酒日の設定等努力している。

 この度の受賞を機会にしてさらに村民の知恵をしぼり、「豊かな村づくり」を一層推進していきたい。