檪の森プロジェクト
Project of Kunugi no Mori

地元再発見ツアー 川内地区

平成13年度A川内地区(川内公民館)
日時 平成13年10月13日(土)〜14日(日)
参加者  土の人(地元の方) 10名
       風の人(調査者)   6名

 

<集落の特長>

1.山瀬地区
〜急傾斜の畑を共同で作っている仲むつまじい暮らし〜
お父さん、イノシシを食べないで(富山邸)・・・イノシシを飼っています。
 川内公民館の玄関口〜平成5年の台風で2軒の家が土石流に流された。砂防ダムを作る話が持ち上がったが、飲料水確保のため工事を断っている。現在も、水とともにある自給自足の暮らしが維持されている。
2.白木尾地区
〜長老甲斐敏夫さんがいます。〜
林間放牧・・・全国で名高い林間放牧⇒見に来てください。
 繁殖雌牛12頭を飼育中、その外ウコッケイなどの鶏類や栗・ゆずなどを栽培し自然な暮らしが営まれている。
3.猿渡地区
〜民宿長吉のあるのどかで美しい風景が見物〜
 長吉裏の畑には、紅オクラや小松菜、ワケギ、山芋など数十種類の野菜が栽培され、宿泊者の食事のほとんどが自作のもので賄われている。
 元分校・・・現在公民館として使用されている木造建ての校舎。ヒノキの床が心を和ませる。明治23年に建立され昭和48年まで低学年が学んでいた。4年生になると朝5時45分には家を出発し片道12qの通学路を徒歩で通い、帰ってくるのは午後7時30分ころになっていた。先生方も途中の山学校は大目に見ていた。

4.仲滝地区
〜何故菊地家は諸塚に来たのか?〜
菊地重為重房逗留の跡・・・22代将軍能運の子重為と将軍の弟重房が住んでいた住まい。
現在、幻の滝(ゴロウソウ・カンザブロウ)の整備につとめている。

5.谷地区
〜急傾斜のためケーブルを使って物の運搬をしている谷地区〜
お稲荷神面〜稲荷さんの神面には驚きます。
横尾稲荷の建立の日付は、安政7年(1861)申6月大吉日とある。現在、横尾地区は一面の杉林となり、わずかな面積の神社用地に赤ガシの大木がそびえたちその下にひっそりと建っている。御神体は盗難の恐れがあるため藤本利春氏宅に保管されている。

6.奥畑地区
〜神社、仏閣の数多い誇れる文化に後継者が育っています。〜
暮らし・・・・⇒共同体がしっかりして仲が良く何でもあります。
かつては8軒の家があり栄えていた横尾地区も、北向きの地形であるということや飲料水の確保に苦労したこともあり、現在では廃墟となっている。それに比べ当地区は、昭和19年に総延長2,800bの用水路が3年の歳月を要し地区民の労力提供により完成したことにより、農用飲料水の確保が十分に行われ集落を潤している。このことは、集落入口に建てられている記念碑に詳しい。

 

<代表的な資源>

観音堂

 

横尾峠の集落跡

 

土の人(地元の方)の声   

・かつて集落として栄えていた横尾地区の様子に感動した
・書物を読むのと実際に調査するのとでは違い、おもしろかった
・二つの集落を比較すると、存亡の理由の違いが鮮明になった
・このような形で後輩たちに伝えることは大切なことである

 

風の人(調査者)の声

・疲れましたけど楽しかったです。風の人は気楽な立場で楽しめばよいのでしょうが、地元の方は今後「あるもの探しで見つけたものを使ってなにをやっていくのか」という実は大きな宿題を引き受けてしまっているのですね。
・ただ、風の人だけを経験しただけで、土の人を実践せずに安易に地元学を勧めることは危険かなと感じました。これは、本を読んだり、話を聞いただけでは実感できなかったことです。
・現地調査や作業の過程で、年輩の方が若い人に「これは○○じゃわ」とはなしている、「伝える場」を目の当たりにしました。今後、地域資源カードを地元で仕上げる過程でまた何か生まれてくるのではと期待しております。私のふるさとがまた一つできました。川内の皆様によろしくお伝えください。
・急傾斜の畑を共同で作っている仲むつまじい暮らしが営まれており、神社・仏閣の数多い誇れる文化に後継者が育っている印象を受けた。