まちむら応縁倶楽部
「森林を守る ―関係と価値観の連続性の回復へ−」
ドイツでのこと

 わが村は、95%を山林が占める森深き山村である。林業立村を掲げ、森林理想郷を謳い、全村森林公園化を目指している。時代の流れと共に形を変えつつも、小さな山村だけではできないが、都市民と一体となって、森を守り、森に生きる人を応援し、街で暮らす人の心のふるさとづくりを模索している。

 地域づくりのあり方で、私の頭に鮮烈な印象を残しているのがドイツの事例である。2年前にひょんなことからドイツに行く機会があり、「ランドスケープデザイン」のシンポジウムに参加した時のことである。人口5,000人の地方農村で開催されたものであるが、欧米各国から多くの学者が朝から夜中までみっちり講義と議論をする高度な内容のものだった。1人が1時間半くらい講義し、さらにたっぷり30分質疑応答があったのが、議論好きのドイツ人らしくて大変面白かった。

 ランドスケープデザインは、「景観づくり」と訳すようだが、そこでは地域づくり、村づくりのソフト的なものも含めて大きくランドスケープととらえていた。それは、田園風景の保存や修景のみではなく、自然とシステムや労働、技術や文化などの要素とその関係をいかに構築して、地域振興するかを考える内容になる。そこで最も印象的だったのは、ドイツの農村でも都市への人口流入による過疎化と農家の高齢化による後継者不足でコミュニティーが衰退し、森が維持できなくなりつつあるということであった。日本と全く同じ構図である。

成長幻想と連続性の喪失

 考えてみれば当たり前といえなくもないが、改めてその問題の大きさを感じた。地域社会は、高速交通網の発達と流通の高度化で、コミュニティー機能を失った。かつて地域には、それぞれ独特の自然条件や生活があり、そこに生まれ育つ人間と地域性には密接な分かちがたい関係が形成されていた。しかし、ほんの数十年でそんな「身土不二」の必然性がなくなり、ふるさとは代替可能で均質なものになった。ふるさとの概念が父の世代と子の世代では全くといっていいほど違ってしまった。高速道路や新幹線が開通して、地方が豊かになった訳ではなく、都市への人口と資本の流出とが加速されただけである。入ってくるものは増えたが出ていくものはもっと増え、結局地方は貧しくなり、都市資本に豊かさは集中する。集中することではじめて成長する経済システムの必然である。日本の中小地方都市では、いまだに近代都市の残像を目標にしており、もっと豊かにという幻想のスローガンが本気で支持されている。

 人間は関係の動物といわれるが、どうも人類全体がその最も大切な関係の連続性を失いつつあるのではないか。現代社会は、物質文明(生活様式、衣食住)の劇的な変化によって、豊かさと引き替えに歴史(というより関係)の連続性を失った。なにより価値観があっという間に大きく代わった。身近な親や子、孫でさえ価値観が違い、世代の断絶をおこしている。

都市と山村の止揚(アウフヘーベン)

 講演で聴いたウィーンの大学教授の話で印象的なものがあった。美しい風景の農村で服を泥だらけにして懸命に働く農民の姿を、燕尾服で正装した画家が絵に描いている写真があった。それをアンバランスなものだと笑い、無神経な画家だ批判することは簡単だが、その画家がいないと農村の厳しい現実とその風景の美しさは伝わらない。大切なのは都市と農村とを対立するものととらえず、分断されたものをいかにスムースにつなげるかだと彼は言った(ようだ)。

 現代のメディアを支配するテレビの影響か、地方民の多くは、農山村は何もなく貧しいが都会は豊かな楽しいところだと思っているし、都市民は今の山村をゆったりした詩的なもの(ノスタルジー)として認識しがちである。両者の視点は直接的には相反する。ただし、都市民の精神的な潤い、癒しには農山村は必要であろうし、経済的に厳しい農山村自立へのバックグラウンド形成に都市の助けは不可欠である。

 我々にとってもっとも身近であるはずの「食」についても、関係と価値観の連続性が失われている。多くの子ども達が、ニワトリをつぶすとトリニクになることを知らないことが、その象徴である。根底には「外食」や「中食」がシェアを拡大し、「食」が農よりも加工と流通を第一とするようになったことに大きな原因がある。「食」における原材料の重要性が著しく低下し、当然ながら農林家は厳しい岐路に立っている。同時に社会問題化している食の信頼性崩壊の原因は、それとほぼ同根であることに皆が気が付いてほしい。農山村だけでなく、都会の消費者にとっても厳しい時代なのである。

連続性の回復=循環型社会へ

 分断された都市と農村とを、いかにゆるやかにつなげ連続性を保ち、循環型社会を実現できるか。また、根源的な関係と価値観の連続性を維持するには、自分たちのことを自分たちで理解することがポイントになる。世代の情報交換、地域の情報交換が生きる条件になるからである。それによって認識のレベルで生活水準を自分のできる範囲内で維持することを理解するようになり、これがいわゆる自給自足体制となる。結果的に入ってくるものは減るが出ていくものはもっと減り生活は安定する。(決して閉鎖的なものではなく、今の社会にはむしろ超攻撃的なものになる。「地産地消運動」の本質は、多品種少量生産の自給自足システムである)

 生きていくのに不可欠の食料を地域で自給するのは当然のことで、もっと言うと食生活を地域性にあったものに戻していくことも大事である。グルメブームなどに象徴されるメディアに踊らされ、地域にない食材を求める自らの姿勢をあらためるべきであろう。

 今年「森のエコゼミナール」として宮崎大学農学部の学外研修を諸塚で行った。その中では地鶏さばきやヤマメの調理など意識して「生き物」と「食」とを近づける体験メニューを用意した。(概して環境教育では、現代社会で分断された循環系を認識レベルで回復させることが大切であろう)学生には予想以上に好評だったようで、涙が出るようなレポートも見受けられた。

諸塚村型エコツアーの目指すもの

 諸塚村では、産直住宅や農林業体験ツアー、大豆応縁倶楽部など、まちとむらとを顔の見える関係でつなぐ「まちむら応縁倶楽部」というネットワークを構築している。農林家と一般家庭とがお互い安心と信頼でつながるネットワークができ、「食」における関係と価値観の連続性を少しずつでも回復していけば、流通も大きく変わる時代が来るであろう。

 この連続性を回復した循環型社会は、まちやむらに活力を起こし、必然的に「森林を守る」社会になるのではないか。このホームページの趣旨である林業家の夢のある将来像を描くことは、農林家だけではなかなか困難と思われるが、まちを含めて多くの人々と協力して連続性のある社会を生かすシステムの実現を目指すことでも可能になるのではないかと思う。

文責:矢房孝広(宮崎県諸塚村 エコミュージアムもろつか館長)

(原文:「ドイツで感じたこと」H12.8 ※熊本家づくり塾講演原稿
 推敲改題の上「rinka(http:// www.rinka.info/)」に寄稿)




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