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 村税完納50年

 諸塚村では、昭和26年度以来、平成12年度で連続50年間村税100%納付が続いています。平成13年10月17日には、村税完納50年を祝って祝賀会が開催されました。

 全国的にも非常に稀な事例と言うことですが、この記録は、簡単には語れない、あまりにも重い歴史です。それを築いた人々の並々ならぬ意思と血のにじむような努力の成果を今後に生かして、更なる良きむらづくりを進めることがわれわれの使命と言えるでしょう。

 

〜村税完納50周年記念式典資料より抜粋〜

★長老が語る村税完納運動
西田 勇 翁(明治43年1月27日生 91歳)略歴
 明治43年1月27日飯干に生まれ、戦争で約4年間長崎県壱岐での兵役についた以外は、地元飯干で主に山の請負を中心に家業に勤しむ。現在は長男と暮らし、現役で働いている。

◎ 終戦前後の飯干の様子

軍用材の伐採 (村外からの山師の出入りが多かった。)
ひどい食糧難 (物資の仕入れ、焼酎の製造販売、くず掘りまでして飢えをしのいだ。)
家族の奉公 (ほとんどの家から熊本に奉公にでる)
個人間の金銭貸借 (食べていくには仕方がなかった。)
税金の滞納 (税金まではとても手が回らなかった)

◎ 当時の状況
  区長(現公民館長)の下に班長がおり、班長(現実行組合長)が税金を集めていた。班長は集めた税金を区長に渡し、それを役場から集金に来る吏員に渡した。当時は、交通手段が徒歩しかなかったので、泊りがけで集金に来ていたが、滞納が多く差し押さえの紙を張られる家も多かった。滞納が多かったのは、木材の搬出に村外からの人の出入りが多かったのも影響しているし、自分の命と家族の命を守るのが精一杯の状況ではとても税金を支払える状態ではなかった。

◎ 村税完納運動
  昭和24年、自治公民館制度が整ってから税金に対する認識が違ってきた。責任制が取り入れられたためで、税金を払えないときは組合長が立て替え、後でもらった。組合長は誰でも出来る仕事ではなく今のような輪番制ではなかった。村外からの人の出入りも多く、税金集めには特に苦労した。公民館長の責任も大きかった。税金を納めるために山を売った者が大勢おり、農協に椎茸を出してお金を前借して納める者もいた。税務署からも所得税の申告がきたのでその対応にも追われた。まさに、税金を払うために山を売り土地を売り牛馬を売り椎茸を売った。そのために、新たに借金をする者も多かった。

◎ 景気の回復と災害復旧
  戦災などによる都市部の復興のためか県外から木材を買いに来る業者が増え、昭和27年ごろから盛んに売買が繰り返され始め、まとまった現金が入るようになり始めた。椎茸も高値で取引され、村が種牛の導入事業を取り入れたので種牛代が入ってくるところも出てきた。加えて、昭和29年9月12日に本村を襲った台風12号の災害復旧で飯干地区に多くの建設業者が入り込み、仕事に従事してお金が手に入るのも幸いした。こうして、しだいに景気は上向き、人々の暮らしも少しずつ良くなり税金も滞ることもなく集金できるようになった。

 

決 意 書

 私たちは、たゆまぬ努力により昭和26年以来の50年間村税の完納を続けてきました。
 村税は、村の発展にかかせない税であり、納めることにより私たち村民は、より良い村づくりに積極的に参加することができます。
 21世紀となった今日、自治公民館活動で培った50年完納に誇りと責任を持ち、激動と変革の時代でありますが、今後とも「豊かな山村諸塚の創造」の実現に向けて、村税完納を続けることをここに誓います。

平成13年10月17日                
自治公民館連絡協議会 会長 中 田 顕 光

 

★村政と村税完納のあゆみ―50年間の主な出来事

昭和26年11月 村税完納運動始まる
   27年  3月 昭和26年度分の村税完納(過年度分含む)
   35年 8月 1日 立岩線に宮崎交通バス運行開始
        12月23日 飯干線に宮崎交通バス運行開始
      36年 5月 3日 村税完納10周年記念式典開催
      38年 2月25日 諸塚村中央公民館完成
      40年 4月 諸塚・立岩間の村道を県道として共用開始
      41年 4月 地籍調査事業着手
       43年 4月 4日 諸塚中学校校舎完成
     44年11月 県道日向・人吉線が国道昇格(国道327号線)
     47年11月26日  村税完納20周年記念式典開催
     48年11月20日 諸塚村立病院移転新築される
     56年11月28日 村税完納30周年記念式典開催
     60年 6月 8日 朝日森林文化賞森づくり部門優秀賞受賞
     61年 3月23日 第1回諸塚山山開き開催
     62年 3月 1日 諸塚村役場新庁舎完成
      63年11月23日  農林水産祭村づくり部門で諸塚村自公連が天皇杯受賞
平成 2年 5月 諸塚村国土保全作業隊5人で発足
       3年 9月25日 村税完納40周年記念式典開催
       5年 4月 1日 県道五ヶ瀬・諸塚線が国道昇格(503号線)
特別養護老人ホーム「せせらぎの里」開所
       6年 4月 第5回みどりの文化賞受賞
     10年 6月 全村域に防災無線稼働
     12年 4月 昭和41年度に着手した地籍調査事業完了
     13年10月17日 村税完納50周年記念式典開催

 

《昭和36年5月3日に村税完納10周年記念式典が開催されましたが、当時の村長古本十三郎氏のあいさつの一部を抜粋して紹介します。》

式  辞

 春陽麗ら、時あたかも憲法記念日の今日、関係機関来賓多数並びに村内指導者各層の御参加を頂き、本村未だかつて無い村税完納10ヶ年達成、農協再建10周年、森林組合再建10執周年の記念すべき行事を執行できますことを心から私の喜びと致し厚くお礼を申し上げます。

 昭和26年11月に村税の完納、滞納税金の年度末一掃運動を村議を始め、各公民館指導者各層に呼びかけ之に絶大の御協力を願ったのでありました。当時農協も戦後の経済動向の急変により極度の経営不振に陥り、解散すべきか、再建築を構ずべきかの状態にして本村経済上一大支障を来たした時でありました。故に年度の完納加えて過年度の滞納の一掃など村長以下職員の夢事であると、村内村外を問わず一般の笑い種に過ぎなかったことであろうと存ずるのでありましたが、時を問わず、成せばなるの諺もある通り、必ず達成できる自負に燃え、公民館長並びに指導者会を催し、或る時は、15の部落に足を向け婦人層に協力を願い、当時の滞納金額三百数十万円に上る税金を、血のにじむ思いの金作りが多かったであろうと思いますが、村民の絶大なる御認識と協力の下に3月末には全村完納の金字塔を樹立する事が出来たのであります。

 爾来、村民の和衷協力と納税思想の普及、村民経済の向上、産業、教育文化の一大飛躍と相俟って、昭和36年3月を以って村税完納連続十ヶ年を達成することが出来たのであります。深甚なる謝意を表する次第であります。

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